2011年4月27日水曜日

今日は朝から晩まで駆け回って



私は毎朝5時30分に起きます。毎朝、寒い日も風の日もワンコが散歩したくて待っているからです。そんなわけで、朝の眩しい光の中で輝く鎧武者に、今日一日の幸せを祈念して、朝の散歩に出かけました。







午後の産業医の安全衛生委員会に出席しようとしていると、金〇さんの奥さまから電話が鳴り、大切な金〇さんが元気がなくて、発熱しているとのことで・・・。すぐに会議を遅刻覚悟で駆けつけると、呼吸音が少し荒くて、誤嚥性肺炎の初期兆候・・・。励まして手を握って救急車が来るまでお話を繰り返して・・・。




すぐ近くの消防署から3分で救急隊が駆け付けてくれて、入院することになりました。『しばらくタバコとお別れですね、また吸いたいでしょう、早く帰ってきなさいね。』と声をかけて・・・。







私の暮らす習志野市香澄の町は今でも下水道が通っていない所があるので、繰り返して工事の車が頑張ってくれています。









より海沿いの会社がある茜浜では液状化がさらにひどくて工場は浮き上がったり陥没したりで、ここでも今でも工事中。









産業医をしている食品製造会社では、今日は1か月に1回の安全衛生委員会の日。でも、大好きな金〇さんを往診したので、少し遅刻して・・・。








すでに会は進行していくつかの難題を検討中、どのようにすれば事故が減り、腰痛が起きないようになり、工場での仕事が安全にできるかを考えています。私の好きなフレーズは『災害ゼロから危険ゼロの職場つくり。』








夜は4月末から始まる、子供たちのためのヒブワクチンンと肺炎球菌ワクチン、それに中学高校生のための子宮頸がん予防ワクチンの開始に向けて勉強会。講師は副会長の小児科医のN先生。








谷津で診療を重ねているI先生は小児科医として60年を超す超ベテランの先生で、子供たちを守っていく気概では誰にも負けません。今日もワクチンによる副作用のご経験を参加した私たちに熱弁をふるい・・・。












こんな素晴らしい先生方が安心して活躍していける、この習志野市をかじ取りするのは新たに市民に選ばれた宮本泰介市長です。




私からお早速願いしたのは、災害時の市と医師会の新協定書の締結です。3/11の震災で学んだことを糧にして医師会はこれからもがんばります。

2011年4月25日月曜日

今日は近くの中学校に予防接種に出かけました



今日は昼休みに麻疹風疹混合ワクチンの集団接種に出かけました。最近麻疹(はしか)は外国旅行に出かけた時に感染して帰国した発生が伝えられています。習志野市では中学1年生に行っています第3期の接種を集団でしています。
 
保健師がまず問診を行い、そして医師が診察をして・・・。




接種可能の判定が診断された中学生は、次に接種の番です。久しぶりの予防接種なので、嫌がって騒いでいる集団もありますが、そこはもう中学1年生、このように落ち着いて注射をさせてくれます。







診察ひと段落したら私も注射にまわってこのようにできるだけ痛く無いようにうちます。
それでも時々嫌がる中学生を看護師の方は笑顔でリラックスさせながら補助してくれるので助かります。







ハードなスケジュールを切り抜けていく私の秘訣は、休日には美術館に出かけて行きます。これは前日の4/24(日)、晴れあがって雲一つない清々しい日に車を飛ばしてドライブがてら・・・。







これは何だと思いますか、このオブジェは『逆のQ』です。アルファベットからこんな創作を行うわけですから素晴らしいものですね。
シュルレアリスム(超現実主義)とは現実の日常世界に接して、ふとその中にある内包されているものをふと感じた時に解き放つ。その時に普段気が付かなかった新たな現実が見えてくるという意味です。少し難解ですね。



この美術館はカメラ撮影はフラッシュをたかないこと、作品を撮って自ら楽しむ以外には使用しないことなど約束がありますが、それを守れば撮影可とありました。
早速サルバドール・ダリの約300号×3枚の絵画を眺めていると、不思議な世界に引きずり込まれそうになりました。毎日の忙しさの中に、楽しみを見つけ、また社会に奉仕する気持ちを習志野市医師会は持っています。



2011年4月21日木曜日

震災から40日が経過して、これからを考える





今日は気が重くなりそうな低い雲が垂れ込めて・・・、外に出ると電柱がいまだ傾いたまま、でもよく見るとそこには一人の工事をしている姿が見えて、思わず電柱Vサインに震災に負けるなとの呼びかけに聞こえ・・・。













しばらくして3人に増えてさらに復旧に向けた工事は進み・・・。













我が家ではやっと自分のことができる時間になりました。液状化した粘土層が、家の周囲に敷き詰めた泥棒除けの砂利を押しのけて、地表に顔を出していたのでスコップで30袋分を掘り起こして・・・。










ああ、疲れたと汗を少しかいて表に出ると・・・。ハナズオオの濃いピンクの花弁が鮮やかに花を咲かしていました。この花は花柄が無く、枝から直接花がついていて、約1cmの小さな蝶の形をした花です。中国原産で東京オリンピックの翌年に日本に入ってきたマメ科の花。秋には黒い豆の袋が垂れ下がります。




向かいの庭にはやはり濃い色彩の寒緋桃(カンヒトウ)が咲き乱れています。バラ科に属していてとても美しく、風景画の中に自分がいるようで力がついてきます。







震災で今回最も感じたことの一つが、連絡網の破たんでした。医師会では災害電話の登録をしてますが、全く役立たず・・・。時折携帯電話のメールは通じてもすぐに通信できなくなりました。 

そこで、早く災害無線の実地トレーニングに向けて、習志野市医師会は素晴らしいコーチに出会いました。私の母校にお勤めのIさんは今日もお忙しい中丁寧にアマチュア無線の手ほどきをしてくださいました。Iさんの指導で大きく歩みを始めます。

2011年4月14日木曜日

産業医として現場で働く人の体を守ります



今日は朝から産業医として最初はケーキを作っているところを巡視しました。どうです美味しそうなケーキでしょう。多くの人の手がかかって、精魂込めて作っているから美味しいのは当然です。

でも、視点はケーキだけではありません。







働く女性の足元には・・・、チョコレートのかけらが散らばっていました。でも作っている人はケーキに眼がいって気が付きません。このかけらを踏めば周囲の床が滑りやすくなります。すると転倒して骨折・・・なんて事にならないように、そこで私が写真を撮り注意をします。








今日のお昼は工場のレストラン、チキンカツとサラダとスープです。どうです食品工場だけあって、さすがに美味しそうなお昼ご飯でしょう。









午後からは袋を作る工場で巡視。これは大型のロールペーパーに高速で袋を作り、そして手提げのひもを付けます。すべて器械で行われ、しかもスピーディーなのでちょっとしたことでも怪我に結びつきます。









重さは250~500kgもあるロールペーパーが置いてあります。不意に転がりださないように、必ず滑り止めのストッパーを入れておきます。この写真はストッパーを入れ忘れていたところです。さっそく注意のイエローカード・・・。









高く積み上げているところでは5~6段にも積み重ねられます。私は身長183cmですが2倍半くらいあるので、約4mの高さ、きちんと積み上げているので今回の地震でもびくともしません。それでも、今後も余震が来たらすぐに離れるよう指示をしてあります。

 

このように習志野市医師会では産業医活動を通して、働く人の健康を守っていきます。ご相談は医師会までどうぞ。

2011年4月13日水曜日

地震の爪痕が残っています



ポカポカした春の訪れを全身で感じる、輝く陽射しの中、昼休みにクリニックの近くの香澄公園を散歩しました。なんと入り口には閉園の2文字・・・。こっそり脇をすり抜けて園内に入ると・・・。







小川のせせらぎのはずが、そこには液状化して湧き出た粘土質の砂が貯留して、まるでボンベイの遺跡のよう・・・。










夏が近づくと子供たちが裸で水遊びにいそしんでいたジャブジャブ池は・・・、やはり液状化した灰色の砂に一面覆われて・・・。


でも向こうには北アメリカ原産の『ゆりの樹』がそびえて、やがて初夏には白いチューリップのような花を咲かせます。






園内のさくらは満開、でも数人の人たちが静かにお弁当を広げて囁きあい・・・。


私を見つけて、近くに住む時々通院してくるIさん、『先生、習志野市医師会が震災にあったところに行ったこと、TVで見ましたよ。』と言われて、少し恥ずかしくなり、『これからが本番、協力してね。』と答えました。





自宅に戻ると色とりどりのフリージアの鮮やかな色彩に心奪われ・・・。三宅島で教職についていた、故Mさんの奥さまが毎年この季節に届けてくれて・・・。皆、助け合ったり助けたり・・・。この当たり前のことをこれからも習志野市医師会の一員として行っていきます。 

東北に継続して支援活動を医師会では行います。

2011年4月8日金曜日

第3次医療派遣チームが出発しました

桜の花も開き始めた今日、診療を終えて疲れているのに皆笑顔です。右から小児科医のN先生、泌尿器科医のK先生、済生会習志野病院看護師のYさん、津田沼病院看護師のMさん、済生会習志野病院のKさんの5人で南三陸町に向かいます。 ボランティアは現地での宿泊施設は使えません、また食事も自分達が食べるものは自分で用意が原則です。今回も医療支援隊の往復の交通事故から身を守るため、また車中で寝泊まりと食事をするため、おなじみの京葉観光にお願いしてバスで向かいます。


手分けして救援物資と歯科治療薬を積み込んでいるのは、習志野市歯科医師会の皆さんです。 習志野市はなんていっても東は千葉市、西は船橋市に挟まれた小さな市です。でも気持ちはどこにも負けません。それは素晴らしい市長はじめ皆さんの協力が得られているからです。向かって右は常に我々の行動を理解してくださる副市長の島田さん、そして左は陣頭指揮に立つ健康福祉部長の山下さんのお二人です。 バスに乗り込みいよいよ出発、隊長は医師会副会長のN先生、皆さん強い意志と意気込みで表情はみなぎっています。 習志野市は今朝はもうだいぶ暖かくなってきて、沈丁花が微笑んでいます。
小さくて可憐な花が枝に手毬の様について輝いています。花言葉は『栄光』『不滅』この香りと輝きと花言葉が叶うように、南三陸の人たちに届けてください。


習志野市医師会はこれからも現地の医療支援活動を医師会員全員で推進していきます。ブログをご覧になっている方も、応援してくださいね。

2011年4月6日水曜日

4月は人事がかわり、新たな頑張りがみなぎります


4月は習志野市でも人事の交代があります。今日の昼休みに私のクリニックに訪ねてくれましたのは、消防長の古賀さんほかの皆様です。習志野市は今、東日本大震災での災害救助法の適応になり、市内では上下水道が依然工事をしています。このような中で市の消防のトップを務める古賀さんは、何となく頼りがいがありそうです。







夜7時30分から習志野市の健康保健関係を引き受けている、健康支援課の課長に就任された内海さんです。これから行われることになる、ヒブ゙ワクチン・肺炎球菌ワクチンなどの今後の予定を検討しました。伺いましたところ、これまではあまり聞きなれていない医学用語が出てきて、疲れましたとおっしゃっていました。市内の子供たちのために頑張りましょうと肩を寄せて・・・。






今朝の輝く朝日の中に、短い枝にたわわに花をつけているのは元気者のボケの花。中国大陸から遠い昔帰化したバラ科の花で、やがて親指ほどの実がなります。花言葉は『魅惑的な恋』









これは山桜桃(ゆすら)梅・・・、梅と言ってもバラ科のさくら目で、梅よりは桜の仲間です。夏期は短くてやがていたずらな風が吹くと、ひらひらと花弁がどこかに舞って行ってしまいます。その後で小指の先ほどの小さな光り輝くミニさくらんぼが生ります。子育ての頃、庭にあって競って実を頬張っていました。子供たちは国の宝物、予防接種をきちんと受けて、髄膜炎などの恐ろしい感染症から守ってあげましょう。医師会では小児科の先生を中心に、積極的に接種を推し進めています。

2011年4月4日月曜日

南三陸町の医療活動の合間に


4/2に自衛隊とアメリカ軍の合同大規模捜索活動が三陸の海で行われました。オリの中に入っていて津波に襲われた『バン』という柴犬系雑種のワンコが救い出されました。飼い主との対面には思わず眼がしらがウルウル・・・・。

避難所では茶色の柴犬?近づくと歯を少しむき威嚇も、いい子いい子するとすぐになつきました。







やはり避難の際に連れてきた白のラブラドール系のワンコ、耳を垂れて少し悲しげな表情はそう見えるだけなのでしょうか。











その向こうに大物がいました。スイスが原種のグレートピレネーズです。そのアルプスの少女に出てくるお利口なワンコで、山岳地帯では救助犬として活躍しています。









近づくと目を合わそうとしないで、何かにおびえて遠くを見つめて・・・。












思わず愛しくてたまらなくなり、医療派遣チームの長老のI先生が歯が立たないといって残したパンの耳を持って近寄ると・・・。


お腹を空かしているのか、あっという間にぺろりと平らげて・・・。







そして今しがた朝日が上がってきた東を眺めて、また悲しげな憂いに満ちた表情に変わり・・・。


ああ、一日も早くこのわんこ達に幸せな日々が訪れるように祈りました。大災害でつらい思いをしたのは人だけではありません。今すべきことを考えて、そして行動に移しましょう。習志野市医師会では今後も医療支援を続けていきます。