2011年9月22日木曜日

診療所で暴れる患者さんが・・・

9/14(水)は少し変わったテーマでの講演会を行いました。それは、最近なぜか診療所で切れる患者さんが増えてきているからです。








千葉市で診療をしている日比野先生は、このテーマに関しては千葉県でも右に出る人は居ないくらい、熱心に、真剣に取り組んでいます。









私が話したのは、医師の側にも責任があり、診療で患者さんが疑問に思ったことはとことん説明して納得してもらう事、これが欠けては、患者さんが怒りはじめるきっかけを医師が作っているかもしれませんから…、







今講演会がいつもと異なるのは、患者さんが最初にクレームを言うのは必ずしも医師ではありません。むしろ看護師や受付の事務員、あるいは薬局の薬剤師に言葉が向かうことが多いのです。そこで、今回は多職種の人たちに集まって、研修をしてもらいました。






研修の翌日はエノコロ草が風にたなびき、『良い秋や、エノコロ草もコロコロと』(小林一茶)










空は天高く秋の筋雲が今日もたなびき、涼しげに天高く・・・、











そしてこれは今日のフォト、昨夜の台風15号で左後ろ脚をねん挫した緑色も鮮やかなコガネムシが玄関で彷徨い・・・、早速摘みあげて庭の紫陽花の葉の上にそっと乗せてあげました。かすかな声で『ありがとさん』と聞こえました。すべての命ある生命に力を注ぎます。それが習志野市医師会の医師に脈打つ鼓動です。

2011年9月17日土曜日

土曜日の午後の講演会に出かけました

今日も真夏の日差しが照りつけ、そして時折急な大粒の雨、台風の先駆けのお天気の午後に、講演会に出かけました。講師は岩手県医師会の石川会長、被災県での半年間の陣頭指揮の責任者の先生が綴ったこの辛い経験は・・・、


まずは沿岸に位置する各都市に見舞われたあの津波の瞬間をビデオで流し、皆あの辛い日を思い出し・・・、すぐに始まった医師会の仕事は不幸にして亡くなった人たちの検案を行い、そしてそれすら電話や電気が自由にならない中での人集め・・・、そして未だ約30%に及ぶ医療機関が診療を諦めたり、また再開するめどが立たない状況に改めてこの災害の大きさを知りました。
帰宅して自宅の周りを子犬と散歩、薄紫色に輝く、紫式部の実が秋の始まりを感じさせ・・・、

そして、石榴の赤くつやを増してきた実が熟れかかってきて、なんてきれいな色調でしょう。この郷土の美しさをいつまでも守っていくためには、災害時の医療をきちんと準備する必要があると改めて考えさせられた日でした。習志野市医師会はこの震災を契機にさらに災害医療に力強く取り組む姿勢でいます。

2011年9月16日金曜日

9/14は第21回めの秋津ケア会議です

介護保険制度が始まって、もうずいぶんと日時が経過しました。それまでは在宅ケアシステム委員会と言って、医師がその中心にいつもいました。介護保険になってから、その主役は実際に介護の現場に立つ方に代わりました。医師はわき役、それでも大切な役割なので、会を重ねて今日は21回め・・・、秋津にあるウェルフェアの責任者で介護福祉士の田邊さんは今日の司会・・・、


今日は半年経過してあらためて、あの東日本大震災の影響を再考する会、もし次に自分たちが暮らすこの習志野市で起きたらどのような行動をとるべきか、またその行動が実際に可能なことか・・・、皆微笑みの中にも厳しい意見が飛び交い・・・、






医師、歯科医師、薬剤師、看護師、ケアマネ―ジャー、介護関係の種々の職業に従事する人が集まり、横の連携を構築。習志野市では香澄・秋津・袖ケ浦地区以外にも大久保、実籾、谷津の合計4チームが活動しています。






さて、今日も9月半ばとは思えないほど、暑さの厳しい日でした。私は机にはゴルフプロのトーナメントを観戦した記念の卓上のクーラーバックに冷えたお茶を置いて診察に当たり・・・、







やはりもう暦の上ではやがて秋の彼岸が近づいているのですが、御覧の伝染性膿痂疹(とびひ)の子供が診察に来て、お母さんンが飛び火なんて見たことはないというので、これがそうと写真を撮って説明し、帰宅してから、自分でも撮影しておきなさいと子供の病気を母親が次回はもっと早く気が付くように指導をして・・・、




外に出て深呼吸をすると、暑さの中にも空はこんなに高くなり、秋のすじ雲がたなびいていました。皆さんまだまだ熱中症にも注意して下さいね。習志野市医師会では介護を受ける方たちと、それを担う人たちにも、熱い視線を送り、そして応援します。困ったときにはお近くの医師会に属している先生にご相談をしてくださいね。

2011年9月8日木曜日

今日は産業医として工場での安全衛生の巡視に

今日は産業医巡視、工場の安全な作業のチェックに出かけました。でもその前に、美味しそうなお菓子です。
そのためには、このようなミストを常に発生してお菓子の表面がパサつかない様に努力を重ね・・・、
温度と湿度を常に監視して、一定に保つことが大切です。
暑さで生産が低下して事故が起きては大変、スポットクーラーで作業をする人に冷たい風を送ります。
産業医の仕事は美味しいケーキばかり見ているわけにはいきません。足元のチェックは・・・、
側溝の蓋のたわみがあると、転倒事故につながります。
誰ですか、おでんのネタも作っているのか?なんて言っているのは。これも美味しいケーキの工程・・・、
クグロフと言うフランスのアルザス地方からドイツ、スイスの名物のお菓子で、粉砂糖を振り掛けて味わいます。オーストリアではクリスマスには欠かせないケーキで、あのマリーアントワネットも大好物とか・・・。またお菓子の話に戻りましたが、習志野市医師会では産業医活動にも力を入れ、働く人たちが怪我をしないように目を光らせています。御用の方は医師会までご連絡ください。

2011年9月5日月曜日

東北の地に飛んできました

庄内空港までは羽田を飛び立つと約45分で到着、窓の外にはあこがれの鳥海山が遠くにかすみ、あの向こうは秋田県そしてここは山形県。今回のブログは少し息抜きして素晴らしい2人の医師の故郷を旅しての報告です。

最初は酒田市の白崎醫院、大正の開業医で建物は移築され公園に・・・、

90年以上も前にドイツがら輸入した無影灯が今も天井から下がり・・・、

外科医だった白崎博士はここで大勢の人を救う手術を行って、今のその時の手術ベットが静かに置かれて・・・、

時空を超えた姿が、この写真を見ていると現実のようによみがえり・・・、

これは坂の多い酒田の町で、往診に呼ばれたときに、このそりに乗って、後ろから2人、前から1人の手伝いの男が坂の道を押して、引っ張って街中の病に伏せて動けなくなった人に救いの手を差し伸べ・・・、

次に訪れたのは南に下がった鶴岡の城下町、私が大学時代に一番お世話になった先生が、この街で診療を初めて18年・・・、

以前は大きな米俵が何俵も入っていた蔵・・・、これを改造してしかも大黒柱は残して、先祖の魂を失わず・・・、訪ねた日曜日にもお元気で小さな手術を5人に施し・・・、

大きな藪のような庭にはその傍らにはモリアオガエルが自生する池に浮き草が満ちて神秘的な様相を呈し・・・、

診療の傍ら、朝5時に起きて庭では素敵な花を作るのがこのところの趣味とか・・・、

医院の看板の裏には脚長蜂の巣が大きく成長して、すぐ表の花畑で美味しい蜜が吸えるので、『ここは暮らしやすいなー』とささやき合っていました。この2人の偉大な先人を見ていると、まだまだ私は頑張っていかないと、近づけないなと思って、北の地を後にしました。