2010年9月24日金曜日

自宅で死を迎える

9/15(水)に習志野市医師会では在宅で死を迎える終末期医療について、パネルディスカッションを行いました。『ねがはくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ』と西行法師は詠み、死生観を的確に伝えました。核家族化して、さらに宗教の衰退から死の受容化が困難になり、病院で死ぬことが都市部では90%に達しています。家族に見守られながら、住み慣れた我が家で死を迎えることはかなわないのでしょうか。パスカルは『ヒトは生まれながらの死刑囚』と述べて、人間の死亡率は100%という当たり前のことを改めて述べています。死はだれもがその本質は見ることができないところにあります。姿が見えないからこそこわいのです。大いに死を語り、少しでも漠然としてでも理解することで、案外死を安らかに迎えるようになれるかもしれません。『幽霊の正体見たり 枯れ尾花』とも言われていますから。





8 件のコメント:

  1. 家族に看取られて逝ける人は、たとえ病院で亡くなっても、それだけで幸せと思います。現代は孤独死が増えていると報道されていますが、実際はどうなのでしょうか。

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  2. 2045年には習志野市では65才以上の高齢者は35%の超高齢社会に達します。病院はもはや死んでいく所としては、医療状況からすると機械的に叶わないことになるでしょう。

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  3. 終末期を在宅で過ごしたい人に対して習志野市の医師会としての対応はどうなっていますか。

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  4. 習志野市医師会では終末期を住み慣れた家で過ごせるように、ご協力していこうと考えています。大切なことはご本人・ご家族と医師がお互いに信頼できて、意思疎通がはかれる関係を日頃から作っていくことではないでしょうか。今後も医師会では在宅医療を推進する方向で検討しています。

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  5. 10月18日に投稿した匿名の者です。11月5日の「在宅医療をしていると」を拝読して習志野市にも本物の在宅医がおられるのだなと思いました。講談社出版「大往生なんか、せんでもええやん!」さくらいクリニック医院長桜井隆著を読み、こういう方が本物の在宅医だと思ったら、我が市にも本物の在宅医がおられるので安心しました。私は新参者の後期高齢者です。

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  6. 皆さま一人ひとりが自分自身で最も大切なことは何かなと常日頃から考えておくことが大切です。自分の意志と離れて、意識が薄れていくときに、治癒する可能性が少ない状況では人工呼吸器での呼吸管理や、胃ろうでの栄養管理をして命をつなぐことは、あまり賢明ではありません。死が近付いてきたら素直にそれを受け入れるのが私自身は賢明と心得ています。だからこそ、今を大切にして生きていこうと思っております。

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  7. 死について常日頃からお考えいただき、少なくともご自身の考え方と相反する終末医療は拒否して、迎えるべき時がきたら、心静かにその時を待つのが肝要です。胃ろうを留置して栄養管理をして、回復するすべもない疾患で自らのそして家族の苦しみを繋ぐのはあまり楽しいことではありません。だからこそ、今を全力で生きていくことができるのです。

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  8. 予期せずに自分の人生の終焉が訪れることは、決してありえないことではなく、もしかするとすぐそこにも来ようとしてるのです。その時のために、どういった死を選択するのか常日頃からご家族と話し合うことが必要です。死を迎える準備の中で、悔いのない充実した人生を送るため、今日を生きることがいかに大切なことか見えてきます。

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